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プロフィール

おはようございます。こんにちは。こんばんは。おやすみなさい。

管理人のかしわ餅乃助といいます。

今日は管理人の自己紹介をしていきます。

似ている経歴の人が共感してくれたら嬉しいです。

(相当特殊な人種だと思っています・・・)

幼少期〜大学生

【幼少期】おとなしく真面目な良い子でした。

1987年1月、3人兄妹の長男として愛知県で生まれる。

初めての子供であったので、両親、祖父母にとても大切に育ててもらった記憶がある。

体が細くて小さく、当時はお茶碗一杯のご飯が食べ切れなかった。

父親が厳しかったので、ご飯を残していた僕は、いつも怒られた。

僕は父が大嫌いだった。

幼稚園の時?かな。(今調べたら4歳の時でした。)

テレビでやっていたアニメがとても好きで、いつも毎日夕方になると放送していたアニメが好きだった。

そこで、今後の運命を決める、大きな出会いがある。(4歳で。)

「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」という、車のレースのアニメである。

この神アニメに関しては、現在までの人生に深く影響を及ぼしているので、後ほど、詳しく話したい。

いや、、、めちゃくちゃかっこいい、、、、、

人生で初めて、好きなものが決まった。車である。

よく、ばあちゃんの背中におんぶをしてもらったらしい。

そこで僕は、通る車の名前を全部言っていたと、ばあちゃんは言う。

「クレスタ!クラウン!マークツー!」

ばあちゃんはこの時期に、「この子は天才になる。将来は医者か、弁護士か。」と思っていたそうだ。

じいちゃんの愛車のトヨタ クレスタに乗って、出かけるのがとても好きだった。

以降30年以上に渡る、車好きの人生の始まりである。

【小学生】ゲームが好き。ずっとゲームしかしない生活。

小学生に上がった僕は、父の弟がくれた、初代ファミコンにハマった。

やったゲームは多くあって、今も実家の奥深くにしまっていると思うがとにかくハマった。

  • F1
  • ミニ四駆
  • ドラクエ2
  • カービィ
  • ドラゴンボール
  • ロックマン
  • ゼルダの伝説

この辺りをよくプレイしていた気がする。

ここからは壮大なゲーム人生が始まるのであった。

その後、スーパーファミコンも、父の弟がパチンコで勝ったとのことで、1台くれた。

もう連日寝るのも惜しんでとにかくやりまくった。

この時期は特にRPGが好きで多くやった記憶がある。

まだレンタルビデオ屋さんが町内にあって、そこが新品・中古のゲームを販売していたのが懐かしい。

初めて新品で買ったゲームか分からないけれど、ファイナルファンタジー6は、確か新品を買ってもらった気がする。

  • ファイナルファンタジー5、6
  • ドラクエ5
  • クロノトリガー
  • ロマンシングサガ2、3
  • マザー2
  • 聖剣伝説2、3
  • スーパーマリオRPG
  • カービィボウル
  • 星のカービィ スーパーデラックス

今見ると、本当に名作だらけですね。書いてたらやりたくなってきた。

(クロノトリガーだけは、スマホのアプリ見つけた時にすぐダウンロードした。

 そこからまた何回もプレイしたのは、つい2、3年前の話。)

そういえば、ポケモンが発売になったのも小学校だった。

私は当時買ってもらっていた、コロコロコミックに、ポケットモンスター青の購入券が入っていて、

それを注文した記憶がある。

周りの友達は赤色を持っている友達が多かったが、僕は青色で、何か優越感を当時感じていた記憶がある。

ただ、ゲームは好きだったけど、スポーツもそこそこ人並み以上には出来た。

父に言われて少年野球を嫌々だがやっていたので、足はなかなか早く、

小学校の持久走大会では、いつも一桁の順位でゴールしていた。

塾で公文式へ通っていて、勉強もそれなりにできた。

学校ではいつもやんちゃな友達と一緒に100点を競って、僕らは二人とも100点ばっかり取っていた。

ゲームを一緒にやったりする友達も多く、クラスの上位カーストにはいた気がした。

【中学校】相変わらずゲーム三昧。でもなんかちょっと上手くいかないな。

中学校に上がっても、とにかくゲームが好きだった。

当時まず流行ったのは、ゲームボーイカラーだった。

友達がゲームボーイカラーを持っていて、売ってもらった記憶がある。

懐かしい・・・ハマったゲームは、

  • テリーのワンダーランド1、2
  • ポケモン金、銀
  • 遊戯王

なんかにハマったかな。あんまりソフトがないのは、多分大物の登場があったからであろう。

そう、私の青春を全て捧げた、ニンテンドー64の登場である。

なんかゲームの話ばっかになってしまってごめんやで。

これは本当に名作で、朝から晩まで、なんなら深夜、徹夜してゲームをし続けた。

ハマったゲームは数知れず、

  • マリオ64
  • マリオカート64
  • ブラストドーザー
  • 大乱闘スマッシュブラザーズ
  • ゴールデンアイ007
  • ゼルダの伝説 時のオカリナ、ムジュラの仮面
  • マリオテニス
  • カスタムロボV2

これらはとにかくやりこんで、周りの友達の中でもトップクラスの実力。

ついたあだ名は「ゲーマー」。

当時はゲーマーと呼ばれるのは嫌だったが、今思えば誇らしい。

それほど、私はゲームに打ち込んでいた。

今の時代に生まれていれば、プロゲーマーを目指していたかも知れない。

それくらいゲームが好きだった。

おいおい。ゲームしかない俺の人生。

少しほかも掘り下げてみよう。

中学の頃は、当時イジられていたと思っていたが、ふと思い出すと、イジメを受けていた。

そこまでハードなものではなかったが、

当時名簿でとなりのやつが、ボクシング漫画の「はじめの一歩」を読んでいたようで、

僕は隣の席からいつも、

「デンプシーロール!!」

「ガゼルパンチ!!!」

「ハートブレイクショット!」

なんてのをいつも打たれていた。後ろのロッカーの辺りでも打たれていて、

痛い感じではそこまでなく、ただボクシングの技を出したかっただけなんだと思う。

のちにそれがきっかけで、はじめの一歩に僕自身ハマってしまうのだから、面白いものである。

今思えば変わった子供だったなぁと我ながら思う。

  • KinKi Kidsの堂本光一くんが好きで、ロン毛が好き。髪がいつも伸ばしたかったが、父が髪が少しでも伸びてくると厳しく叱り、いつも刈り上げにされ、もみあげを水平に切られるので、床屋が本当に嫌いだった。
  • 車の運転がしたくてしょうがなかったがもちろん免許がないので、学校の倉庫に入っていた三輪車を取り出し、校庭の隅で、一人でバック駐車の練習を校庭でしていた。

【高校生】ゲーマーから抜け出し、かっこいい男を目指す。

大きな転機となったのは、やはり高校生だろう。

小学校・中学校と楽しくもない野球を続け、大して上手くないのに、意地で続けていただけだったが、

高校生で夢の硬式テニス部に入ることにした。

テニスは何故だかやりたくてやりたくてしょうがなかった。

髪の毛を短く、スポーツ刈りにする必要もない。

爽やかな汗、日差し、声援、ライバルとの真剣勝負。

そこに夢の世界は広がっていた。

ゲームは好きで相変わらずマリオテニスが大好きだったが、とにかく部活に打ち込んだ。

授業前の朝練も毎日、夕方は日が暮れるまで練習、休みの日もほとんど部活をやっていたと思う。

うちの学校は公立高校ではなかなか強い高校で、先輩たちがべらぼうに上手かったのをよく覚えている。

人気の部活のため、新入部員も僕たちの代は80人ほど入ってきた。(全校生徒で360人だぞ)

とにかくテニスが好きだった俺は打ち込み続け、3年生最後の大会では団体メンバー5人に選抜されることになる。

本当に3年間部活をし尽くした高校生活だった。

この頃から、全く興味がなかったオシャレも気になり始め、

よく友達と名古屋駅、大須などを回って服を買っていた。

友達の紹介で高校2年生で初めての彼女にも出会い、そこから3年ほど仲良くしていた。

このアツい3年間を共にした仲間は、今でも一生の友達と呼べる関係の深いものとなった。

しかし、勉強は全くダメになってしまった。

中堅の進学校であったが、入学して初めて受けた学年統一テストで、360人中358位。

その後も理系に進むが、赤点を取ったり取らなかったり、よくないテストが続いた。

いざ大学受験となった時、

「いや、この成績では国公立大学に行けないから、俺は浪人するんだ!」

そう言って大学受験をすっ飛ばしかけるが、自分の親ではなくなぜか親友のお母さんから、

「浪人はしないほうがよい。今からでも中期日程で受けられる大学があるから受けなさい。」

その方は中学校の先生だった。

浪人なんかしていたら、遊び呆けて、大変なことになっていただろう。

親友のお母さんには今も感謝している。

とのことで私はそこから願書を提出し、無事中期日程で合格し、大学生になることができたのである。

(偏差値は良くないが、中期日程は穴場だったそうで、なかなか低い倍率で合格できた記憶がある。)

【大学生活】もうね、クズですよ。クズ。ムーンライト歌い出すよ?

ひとまず浪人を回避させていただいた私は、

大学生活というものに非常にキラキラしたイメージをもっていた。

サークルとかやって、女の子とイチャイチャして、勉強とか、学校生活とか、最高なんだろうなぁ・・・

最初の1年生こそ、授業を出るが、サボりがちになるのに時間は掛からなかった。

バイト、ゲーセン、パチンコパチスロにどハマりしていく。

居酒屋バイト

初めてのバイトは居酒屋のバイト。

男なのに接客がしたいと申し出る。(当時接客できるのが男の鏡であると思い込んでいた迷惑なヤツだ。)

居酒屋のホールスタッフはなかなか難しく、酒に酔ったお客に対して、クレームや時には罵詈雑言を受け、

トイレで散らかった、、、吐瀉物の片付けなどを行っていた。

コミュニケーションも苦手で、使えないと店長に判断された私は、厨房へと入り込んでいく。

徐々に料理を覚えさせられ、すっかり厨房アルバイターとなった。

しかし、お酒の作成は遅いし、色々な注文が入っても、段取り良くこなせないし、

焼き鳥が焼き上がって、お皿に乗せたら床に落っこちたけど、そのまま少し拭いて出しちゃう(!)し、、、

今思えば、この頃から仕事が出来ない片鱗が見え隠れする・・・いや丸見えである。

ただ、この居酒屋のバイトで、またもや人生に大きく影響を与える人との出会いがある。

それについては後述。

パチンコ屋のバイト

次にパチンコ屋のバイト。これは体力は必要とするが、私には向いていた。

ただ台の上に乗っている満タンのパチンコ玉の入った箱を、空箱と取り替えればよい仕事。

時給もいい。

とても自分に向いている、単調な仕事だった。

夜23時に閉店となり、そこから店内の片付けを行い、0時ごろに終了。

そこからは、夜の時間である。(翌日学校

ゲーセンLOVE

パチンコ屋の近くのゲームセンターに入り浸っていた。

毎日毎日、0時までバイトの後、朝3〜5時ぐらいまでゲーセンで過ごした。

何が好きかと言うと、音ゲーである。ドラムマニアだ。

1プレイ100円で、4曲演奏できる。

そのうち3曲以上最高演奏ランクのSを取るとエクストラステージでもう1曲遊べる仕様。

一晩で、1000〜2000円ほど使って、プレイしていた。

朝方には汗だくになって、プレイを終えて、家に帰る。

そんな幸せの毎日を過ごしていた。(朝からは学校あるよ、、、?)

パチスロ・パチンコ

とうとう始めてしまった。大学生になるとみんなやるよね・・・?

僕が初めて打った台は、5号機のSHAKE2である。

とにかくハマった・・・サボハニが揃うのが待ち遠しくてしょうがなかった。

それと王道ジャグラー。もう開店から閉店まで一日中打ってた。

無心で打ち続け、5000枚出したことも何度かあった。

だけどまぁ、負けたよ。そこまで大きな負けになる前に辞められたけど、

トータルどれくらい負けかは、もう覚えてない。数十万負けってところだろうか。

今は時間がなくて行けないけど、お盆と正月に時間があるときだけ行くって感じ。

好きだわ〜パチスロ。

大学は4年間で卒業できた。

と言うかさせてもらった。させて頂いた。

卒論作らなくて、卒業できたの、俺以外他に知らない。

全部ゼミの人が作ってくれた。

でも浪人するつもりだったから、全くゼミに行かなかった。

先生から言われた。

「最後の卒論発表会だけ来なさい。そうすれば可(一番低い単位)はあげよう。」

先生も残ってほしくなかったんだろうなと今になると思う。居ても邪魔だもんね。

全く卒論作成に関わらなかった僕は、発表会の日。

資料を手で持って、めくる係となった。(一言も喋らない。)

終わった。大学生活。卒業だ。

大学生〜科目履修生

卒業した。

でも大学に残った。

どうやって?

科目履修生だよ。

結局、科目履修生になっても、大学の授業は一度も出席しなかったし、1単位も取れなかったけどな・・・

科目履修生になって何をしていたか。

音楽である。

ストリートライブ。

ミュージシャンに、俺はなる。

毎週日曜日になると、名古屋駅で路上ライブをした。

この時の相方が、初めてバイトした居酒屋の一個上の先輩だ。

名を、テイルという。運命的に出会った。

歌がうまかった。とにかくうまい。

ミスチルが好きで、歌い方は完全にボーカルの桜井さんだが、まぁ似とる。

BUMP OF CHICKENもうまい。

いまだに、彼より歌の上手い友達を知らない。

毎週名古屋駅まで歌いに行った。

今でこそ、許可が必要だったり、お金を支払わなきゃライブが出来ないみたいだけど、

当時は特に無かった。(知らないだけかもしれないが、、、)

二人で座って、先輩はミスチルを歌い、僕はゆずやコブクロなんかを歌っていた。

オリジナルの曲も何曲か作った。

ななちゃんの近くで歌っていたが、建物が反響しやすい形であったため、よく響いた。

何人か止まってくれる人もいた。

恥ずかしがり屋の僕は、「あん?知らねーよ。歌聞きたきゃ聞けよ。」

聞いて欲しいのか欲しくないのか。

社会人

はい。とうとうなりました。なってしまいました。

どうやって面接を受けて、会社に入ったのか、よく覚えていない。

新入社員で入った会社は、いわゆるサブコンだ。

サブコンとは何かというと、建築設備の会社である。

ゼネコンとは、建物全体を作る会社で、その中で設備工事を行うのが、サブコンである。

以下作成中・・・・・・2025年11月24日現在